2017年1月1日日曜日

最終回:もう「元協力隊」はやめることにした

アニメ映画『この世界の片隅に』、ご覧になりました?

戦時中の広島・呉における「普通の人々」の生活を抱いた映画ですが、これまでの戦争映画のイメージとは違い、人々の生活に重点に置かれた、まさに「新しい映画」です。映画評論家の方々をはじめ、著名人がこぞって「間違いなく映画史に残る傑作」としています。ご興味ある方は是非ご覧ください。

#「この出だしはどこかで、、、」と思ってくださった方、ありがとうございます(笑)

地域おこし協力隊を終了後、2年目のシーズンでした。去年が迷走の一年だっただけに今年は何とかせねば、という気持ちでおりました。結果として、これが去年であればまあまあ、というところでしょうか。ただし100点満点でいえば20点くらいですが。

ところで地域おこし協力隊。私の周辺自治体では若年齢化と多人数化がみられるようですが、これといって印象は何も変わりません。さらに言えば「協力隊は非協力的」ということを改めて実感させられることになりました。まあ、大した社会経験もない人たちにまともな反応を期待するほうが間違っているのだ、という結論に至ったのでした。

さらに地方創生。各都道府県の人口ビジョンと総合戦略が提出され、これからその取り組みが開始されることになるのでしょう。
地方創生カレッジでは、地域創生のビジョンやこれからの地域のあり方などについて語られています。さすがに日本の知識人たちが集まって新しいあり方を考えているとあって、さまざまな方面からの知見をもって、それは魅力的なビジョンが語られています。これだけの話しであれば、もっと広く国民に語られるべきでは、と思ったりもします。しかし何かおかしい。少なくとも私には全く入ってきません。そこにはどこか傲慢を感じるのです。俺たちが理想的なあり方を考えたから、お前らその通りに生活しろよ、と。国家事業がビジョンをもとにあることは望ましいことでしょうが、とはいえ、そんなビジョンがそのまま実現されたことなど、国家の歴史上あったことがあるのでしょうか?

地方創生のような国家レベルで検討されていることと、実際に日々の生活を送る人たちの間には恐らく埋めることは不可能と思われるほどの溝があります。一億二千万人の人口をもつ日本だけに、国家から庶民まで同じベクトルを向いて取り組んでいくなどありえないのは当然ですが、そもそも次元が違う話しなのではないか、とさえ考えてしまいます。

『この世界の片隅に』では、戦時中の生活が描かれていますが、そこに描かれたものは戦争に対する印象ではなく、庶民にとっては戦争ですら単なる「今の環境」でしかない、というものです。国家がどうしているか、など関係ないのです。ただ、今ある環境の中でどうやって生きていくか。これしかありません。
これは結局のところ地方創生でも同じことです。国家がどう考えようが、地域の人は今生きるための選択をしながら生活するだけのことです。使えるものは使い、ダメなものは使わなければいい。これが一般庶民の生き方です。地域おこし協力隊も好きなように使えばいい。ただ給料をもらうために渡り歩く、高校の文化祭レベルのイベントをやって自己顕示欲を満たす、感動的なストーリーに自分を載せて承認欲求を満たす、好きなように使えばいい。地方創生ではそれらの良し悪しなど考えずに、ただ移住定住効果を計測するだけなのだから。

ということで、ここに1つの結論が下りました。

俺たちに地方創生は関係ない

「本川さいこー」というブログ名は、再考し再興して最高に、といった意味を込めてつけたものですが、実際の現場を知れば、こんなものは戯言でしかなかったと、半年もしないうちに気づきました。そして今、元地域おこし協力隊であることなど何の関係もない、という結論に至りました。したがって、ここへの日記投稿はこれで最後になります。ここに訪問くださった方々に感謝の意を添えつつ、最終回を締めさせていただきます。

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