今研修させてもらっている林業での作業、それは「地ごしらえ」です、これは林業作業の中でもっとも古く、新しくならない作業なんではないか、っと想像してしまいます。
木材を出し終わった後の山は、運び出す際に折れた枝や、運び出さずに伐った雑木(これはちょっとした木の差別用語だけど、スギ、ヒノキ以外の主に広葉樹のことを指す林業用語)でこんもり溢れかえってます。
この山一面を覆う雑木とスギやヒノキの枝郡を、地ごしらえ作業者は、それぞれに立ち向かっていくわけです!
枝や雑木をあちらこちらに寄せ集めて、地面を見えるようにする、それを繰り返すことで赤裸々な地面面積を作っていって、次にまた植林できるスペースを作るわけです。
ノコやチェーンソー、鎌(登鎌っていうのかな?)なんか必要に応じて使い分けながらすすめていきます、上の写真は今の現場ですが、雑木の太いのがあまりに多いのでつかうのはほとんどチェーンソーのみになっています、太い枝や雑木の幹なんかの先を刃物で尖らせて、斜面と平行に間隔をあけて突き刺して杭にします。
そして杭の上の方で混然とねじくりまがってからみあっている太い雑木とその枝々をチェーンソーでおりゃおりゃあ!っと、さみだれ式に斬り、あとは手作業でその場にある太い枝なんかを利用しながら雪だるま式に転がして杭のある方へ寄せ集める、といったような作業を永遠に繰り返していくわけです。
ゴソ(枝やら雑木やら、地面を隠している敵の総称)の重なり方やら斜面の起伏やら、現場の状況はそれぞれに全然違います、重機なんて入れたものではないし、可搬式のなんらかの機械もとうてい役立つとは思えません、だから結局手作業なんですね。
この作業、けっこう好きです、いろいろ学べるような気がします。
最初に勢い勇んでゴソ郡に立ち向かっても、ゴソは圧倒的な量あるわけですから、疲れてしまいます、何日も何日もかけて少しづつ進めていくしかないという壁にいつもぶち当たります。
その中で自分と向き合えるような気がします、圧倒的な存在に対する自分の無力、けど一日作業をして振り返ってみれば足元には自分が寄せて植林するスペースのできたゴソの山が累々と並んでいて、その様を見れば、「なんだけっこう進んだじゃんか」と思えるわけです。
枝の一本一本が、広大な山と無関係ではなく、枝を一本一本を動かすことが、最終的には広大な面積に働きを及ぼすということ、無力を経由して、一握りの自信を得るわけです。
うーむ感慨深い。。
感慨深くなっているところをパチャリと撮られてしまいました。
気に入って画像を送ってもらってブログに載せてしまいました。
育林業の作業はどれも、派手さはないかもしれないけど、何人かで現場に入ってもそれぞれに単独で動くことがほとんどなので、考えたり感じたりする時間がとてもあって、なんつーか禅のようだな、と思います。
チェーンソーこそ使いはするものの、とても原始的な素直な労働で、仕事と名のつくものがどれも苦手なぼくが、これほどすんなりとその世界を受け入れれた労働は、はじめてだなと思っています。
尊敬できる仕事だ、うんうん。
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