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2013年3月13日水曜日

定住について


ぼくがこの旧本川村に住み始めて、10ヶ月以上がたちました。
近所や近くの区域の人たちもぼくの顔を憶えてくれ、いままでの通りの本川村の日常に参加できてきたんじゃないか?と思っています。

ここに来てからのことをふりかえってみる時、自分のなにがどう変化したというよりは、まるでこの地で生まれたかのように感じ、自分が一新したかのようです。

いくつかの趣味はそのままに継続してるけど、まるで経験したことのなかった風呂やストーブや調理の薪焚きに、薪割り、林業、草刈り、畑、役場通い、その他にもたくさんの生活にまつわる労働に日々追われ、そんな労働で自分が新しく構成されていく様が、なんだか不思議にも心地よいです。


現代の資本主義の目的のヴァリエーションも限界に近いものがあるようで、こぞって進化とは逆のプロセスをたどっていこうという若者が増加している傾向があるようですが、自分も例に漏れずその中の一匹として都市から地域へと逆流してきた異分子であります。

街の欲望は多岐に渡り、どれひとつとして飽きをまねかないものはない、欲望は次々と、もっともっと、と常に飢えています、同時にそんな欲望は、いつも繰り返しを求め、同じ反復的な行動に自分を閉じ込めてしまうものでもある。
そんな葛藤でぼくは、街で詩を書いたり旅をしたりと根を定めることなく国内外で暴れていましたが、人生の転機とでも言うのか、「自分を立たせるためには自分の立つであろう地面を耕さなあかん!」なんて心情になり、地域に根ざしはじめるというシーズンにさしかかった模様です。


おととし、東北で震災があった時、ぼくは石巻にボランティアで参加しました、その活動を経験した後でぼくなりにわかったことがあります、それは「不便な生活ほど人を強くする」ということです。むろん、不便さが良いというわけではありません、不便さの中に便利性を創造していくことが人としての賢さなんじゃないかと思うようになったわけです。。

東北で、震災の後、街の人々は行政に頼らざるおえませんでした、けれども行政の必死の努力も皆の期待には応えきれなかった、、
そこで住民の方々はボランティアを、わらにもすがる思いで頼りにしながらも、小さな区域ごとに、時に団結し、衣食住の確保などを必死で工夫しあうことで、なんとか生き抜いていました。

行政や自衛隊での支援活動が、拡大拡充される頃になると、配給を待つ人の列がどんどん増えていき、配られるパンにも種類が増えていき、生活必需品の項目もどんどん増えていきました、なにせ日本中から物資は集められたんです。過大に集結する物資と、それを求めるようになっていく街の住民の人々、、
正直ぼくの脳裏に疑念がよぎりました。

そんな中、ボランティアの集まる街から離れて海辺の人気の少ない集落へと何か手伝うことがないかと行った時、ぼくは驚かされました。

その集落には自衛隊も行政もまったく立ち入っておらず、その代わりに地域の住民たちが自分たちでガレキを片づけていて(それどころかガレキを利用して小屋を作ったりしてた)、さらには手伝いに行ったぼくをもてなしてくれ、客として喜んで迎え入れてくれたのです。

震災直後、すぐに食物を干物などにすることで食料を確保しつつ、ガレキの撤去作業をしながら、協力しあって、生き抜いた話はどれも、人としての強さを感じさせるものでした。

行政から離れて暮らす集落の人々には「待つ」という発想はなく、はなから何も期待しておらず、自然から出された宿題をせっせと解いていくかのようにガレキの上でせっせと働いていました。

そんな集落をつくる一人一人の住民の「死なない力」がまさに、その集落を生きながらえさせ、それどころか、部外者を迎えてくれるほどの懐の広さに、魅せられてしまいました。
そのような経験が、ぼくがこの地に住み出したことにつながったと思っています。

「森の生活」で有名なソローが確かこんなことを言っていたのをよく思い出します。

「文明人とは賢い未開人である」

それが本当なら、ぼくらはこの文明の時代の先っちょに産まれるだけでは文明人にはなれないのではないか、一度未開人からはじめなくては。

幸い、まだ自然の中で折よく生きていく知恵は、日本の山に隔たれたその奥地にたくさん眠っているはずで、げんにここでの生活でも日々触れることができています。

けども、逆に日々思い知らされるのは、土地に生きることの難しさです、地域おこしでは定住ということが目的とされるとおもいますが、それは簡単なことではない。

金銭面もそうですが、その他にもたくさんの課題がある、まずその土地に受け入れてもらえるかということ、土地をはじめとする周辺の人々やその空気に、、

今ではもう、伝統や宗教や習慣の違いというものは都会と田舎の中でそれほど問題になることはないとは思う、けどもそれらが田舎でなくなったかというと、違うと思う、それらは言葉にならない空気感として、やっぱりその土地に土地を生きる人々に根強く残っていて、そのズレをきっとぼくら部外者はゆっくりと感じていくだろうと思う。

ある本に書かれてた話で、ある入植者に対して、その土地の老婆が一言、こう言ったそうです。

「あんたら、この土地の先祖になるんやで」

これは辛辣すぎる例だけど、定住ということの重みが知れる話ではあると思う。
そして、自分の今まで住んできた土地に対する考え方の軽さを叱りつけてくれる言葉でもある。

放浪ばっかりしてきた自分ですが、ここには無限大にやること、やれることが眠っていると実感しています、そういったことを通して土地と関係を持つことになれば、定住は知らない間に完了しているんじゃないか、なんて簡単に考えることが大切なんじゃないかな。

ぼくは、田舎が好きです、田舎らしいところが好きです、だから本川も都会の若者に尊敬されるような田舎であってほしいです、観光地になんかならなくていいし、成功事例にもならなくていいです、それが田舎の力の根源であって、それが田舎の魅力だと思います。

本川が辺境の地でなくなってしまったら、日本に辺境の地はなくなってしまうのではないか、ぼくのあこがれた田舎はもう、どこにもないのか。心配になる。

ぼくは地域おこし協力隊として、田舎の都会化を推進したくはありません、そうではなくて地域に学び、地域の必要な時々に役に立つ人間になりたいです。
住民の人々にはいつまでも尊敬できる背中を見せて欲しいし、そのためには思うことも発言していきたいと思う。

過疎化や高齢化は、地域の弱体化とは関係がないと思います、だって本川のおじいちゃんおばあちゃんは、都会の若者の何十倍も役に立つもの。

学ぶのは、僕らの方だ、いつも気付かされるのは僕らの方だ、若者は役に立たない、ぼくも役に立たない、だから田舎に来たんだ、役に立つ人間になるために。

長々と書いてしまったけども、そうだな、うん、思うことはどんどん書いていくようにしよう。
クビになったり、怒られたりしたら、それも書いていこう、そう考えると楽しくなってきたぞ。

ではでは皆様、またの機会に、ごきげんよう。


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